内向的な人のための処世術

内向的な人間による、外交的な人間が作り上げた生きにくい世の中でより良い人生を歩むための方法を共に考え実行していくブログ

自分がサラリーマンに向いていないと気づいた五つの理由

入社して12年サラリーマンとしてただ一社のみにで働いてきた。

どうやら自分はサラリーマンに向いていないのではないか、ということがうすうす感じてはいたが、最近確信に変わってきた。

 

理由その1、集団生活に窮屈に感じてきた。

そもそも人間には昼型と夜型の人種がいるが、自分は間違いなく夜型の人間だ。にもかかわらず、会社や学校は朝始まって夕方に終わるというのが当たり前であって、その生活に合わせなければいけないというのは既に始まる前からハンディキャップを背負っているということになる。

また、通勤時間や昼の時間など大量の人が同じ時間に被ってしまうので、非常に効率が悪く、渋滞や食事の待ち時間など無駄が多く発生しているこの辺りは、サラリーマンが向いていない話とはちょっと変わってくるので一旦横に置いておく。

 

向いていないと思った理由その2、仕事が合っていない。

仕事ができないのだ。しかしこれは仕事に単純にできないという話だけではなくて、仕事が合っていないということだ。自分はできないと思い込んでいるが、今の場所だとできないだけであって、他の場所で活躍できる可能性は十分にある。自分が無能なのは気のせいだ。

例えば会議で発言できなかったり、論理的な思考ができなかったりする場合があるだろう。それは今の会社では向いていないかもしれないが、クリエイティブな仕事であったり、アーティスティックな仕事なんかなら、むしろ良い作者になる可能性を秘めている。これは例え話であって色んなパターンがあって当然であり、仕事ができないのは気のせいで、今いる会社のシステムに合わないだけである考えている。

 

サラリーマンが向いていないと考える理由その3、仕事が好きではない

好きな仕事であれば、いざ知らず、さほど好きでもない仕事をサラリーマンとしてやっていくにはお金という対価が必要である。現代の日本において給料は働いた時間に応じてもらえるものだという文化が根強くあり、今でこそ働き方改革と言って改善はしてきているものの根強い時給換算による働き方が残っている。するとどうなるかというと残業すればするほど仕事をしていなくてもお金が手に入るため生産性が悪くなり、効率が悪くなる。残業代がないと生活ができないとなれば当然仕事があってもなくても残業文化が育ちまた生産効率が落ちる。それだけならまだしも、そういうことに気づいていない人達が多数おり、まだまだ改善の見込みが立たないのため、時給換算でしか物事を考えられない環境にいる。そのため仕事に対するモチベーションが上がらず、仕事を楽しむだったり効率的にしようという意欲が湧いてこない。

これは言い訳に聞こえるかもしれないが、私自身はそう感じてしまっており、そこからの脱却は幾度となくチャレンジしてきたが、未だ達成できていないということは、サラリーマンという仕組みそのものに向いていないのだろうという風に考えた。

また、給料はほぼ年功序列の形になっており、将来的に得られる金銭のめどが見えてしまっている状況で、出世に対する意欲がない。しかし出世をしないとコントロールできる範囲が限られており、仕事がつまらない。出世をしても得られる対価が小さい。

 

自分はサラリーマンに向いていないと分かっていながら、未だにサラリーマンから抜け出すことができない不幸な人間である。逃げ出すには、それなりの収入の確保がなければ家族のを養うことはできないということで非常に苦しい生活を強いられている。が、会社が悪いわけではなくて、自分が会社を選ぶんで働くということを選択したことが全ての始まりであり、早くそこから抜け出す責任は自分にある。そのためには先立つものがなければ、家族に不安を与えてしまうので、そのための準備を考えよう。準備などのそういった内容は、今後綴っていこうと思う。

 

管理職などをマネジメントする人の給料が高い、偉いという価値観が意味がわからない。適材適所だろうと思う。マネジメントできる人と仕事いわゆるプレーヤー例えば営業であったり技術開発であったり製造オペレーションであったりプログラミングであったり人事経理、そういう特性がそれぞれあるのに仕事で成果を上げた人はマネジメント側に回ってしまう、これは非常に問題であってその人は仕事ができるからといってマネジメントが上手い、とは一切関係ないと思う。